家督相続と隠居とは?
家系図の作成でよく出てくるキーワード「家督相続」と「隠居」どちらも、家系を調査しているとよく目にします。
隠居とは
「隠居」というと、定年退職や家業を引退して、悠々自適の暮らしをエンジョイするイメージがあります。しかし、戦前「隠居」は、ちゃんとした法律用語であり、家を承継していく制度のひとつでした。実際の隠居の手続きも、役所に出向いて届出が必要でした。そして、次に家督を相続する人が決まっている必要もありました。
家督相続とは
「家督相続」とは、分かりやすく言うと、何人兄弟がいても長男が家の財産の全てを受け継ぐこと。家督相続した者は、家の財産を守り、一族の面倒を見なくてはならないので、非常に強い権限をもっていました。
昔は、家を代々受け継ぎ、その家の主となって守り繁栄させていくという考え方が強かったのです。
家督相続の行われていた時期
明治31年の明治民法の施行から、戦後に民法が改正された昭和22年までの約36年間。
家系図を作成するとき、当時の時代背景を理解することで、ご先祖様の生活や考えに気づくことがあります。
家督相続がなくなった背景
戦後、民法改正審議会員だった法学者・我妻栄氏は、議会・法学者の大勢が強く反対するのを押し切って、旧民法にあった「家制度」「戸主」「家督相続権」などを廃止する改正を行いました。各人の平等を認め、自由を確立しなければ、我が国の経済発展も、社会的向上も望むことはできないので、家督相続を廃止して財産の均分相続を認めるべきという主張でした。
まとめ
戦前の隠居や家督相続の制度はなくなりましたが、私たち日本人の心には、やはり「家」を大切にする気持ちは消えていないはずです。
お盆やお正月には、家族・親族で顔を合わせる機会を持つ家庭が多い。そして、祖先を敬い、お盆やお彼岸に墓参りをすること、祖先の年忌法要を営むことは一般的な風習として今も残っています。そして、これらの形態は変化していくだろうけど、無くしてはいけないものだと思います。
追記
下記、「日本の失敗と成功 近代160年の教訓 岡崎久彦・佐藤誠三郎 扶桑社」より抜粋
『日本人のモラルを支えている重要な柱の一つは先祖伝来の家に対する責任感です。自分の代で潰してはならない。むしろより発展させて子孫につなげるという考え方が連綿としてあって、それが結果として家制度を存続させてきた。』
『家制度は、日本社会の企業倫理を支えるやる気の源であり、日本人の道徳や倫理の柱であった。』
(黒川総研 系図倶楽部より)