縄文時代・弥生時代

トランプ大統領が、5月25日より来日しています。令和となって初の国賓。さてトランプ大統領と言えば、地球温暖化を否定する発言でも注目されました。

約7000万年前の縄文時代は、温暖で今よりも気温が2,3度高く、海面が3~5メートル高い状態でした。現在の地上となっている場所も、当時は海の底というように景色が異なっていました。今回は、私たちのご先祖が作っていた縄文時代の土偶そして弥生時代の銅鐸についての話。

縄文土器と土偶

縄文文化を代表するものと言えば、土器と土偶。複雑かつ立体的な模様を持つ縄文式土器、呪術に使用されたとみられる土偶など、縄文人達は狩猟や漁労をしながら、独特の文化を生み出しました。

しかし、本格的な稲作や青銅器、鉄器の製作がはじまった弥生時代に入ると、装飾性に富んだ縄文式土器ではなく、簡素なつくりの弥生式土器が好まれるようになりました。そして土偶ではなく、祭祀は玉類や青銅器を使った新しいスタイルに変化していきます。

遮光器土器の不思議な形は、実は今も正体不明。大きな臀部や乳を持つことから、女性を表していると考えられてはいるが、それ以上のことは不明。人以外をモデルとしている説もあります。たとえば、東北地方で信仰されていたアラハバキ神や古代シュメールの女神であるイシュタルという説。または、宇宙人説まで出てきています。

そしてこの土器、何故か不完全な形で見つかることも謎とされています。遮光器土偶だけではありませんが、土偶の一部が故意に破損された状態出見つかることが多いのです。おそらく、病気や怪我をした人が、自分の身代わりのつもりで土偶の一部を壊し、祈りを捧げたのではないかと見られています。また、一部の土偶では、子供の歯や骨が埋め込まれたものもあります。これらは、死んだ子供の再生を祈って作られたものかもしれません。

銅鐸

釣り鐘を扁平にしたような形の弥生時代の青銅器といえば、銅鐸です。大きさは、10センチから140センチと幅広く、表面には文様や原始的な絵が描かれているものが多い。たとえば、カエルの絵があります。カエルは、冬眠してまた春になると土の下から出てきますが、当時の人は、生き返ったように見え、神聖な生き物と考えられていたのではないでしょうか。ちなみに、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市「纏向遺跡」では、カエルの骨117点が確認されています。

この銅鐸、弥生時代の人々が何に使っていたのか、どう呼んでいたのかも不明。この銅鐸の研究が盛んになったのは、大正時代からのこと。まずは、楽器だという説がでました。次に、祭器としての役割という説がでてきました。その説によると、銅鐸は聖域と思われる場所に埋めて保管していたが、祭儀の時だけ掘り返して使用して、再び土に埋めた。その一連の行動も儀式の一環だといわれています。しかし、銅鐸はその後、掘り出されることなく、地中に放置されています。その理由は、何故なのか。地面から天体へ宗教儀式の主流が映ったこと、新たに有力な権力者が誕生したからともいわれています。

最後に

土偶や銅鐸などは、呪術や祭祀に関する道具として使用されていたのでしょう。動物の中で唯一人間だけが、目に見えない事を信じることができ、信仰心を持ち団結することができます。その人間の愚かな行為によって、地球環境が破壊されることは、あってはならないことですね。

(黒川総研 系図倶楽部より)