戸籍と徴兵の関係

正式な家系図作成する場合、まず戸籍を辿ります。古い戸籍を見ていると、養子や分家や絶家再興などの文字を目にします。この中には、徴兵と関係している場合もあります。

そもそも、明治政府が戸籍を作成した理由として徴兵があります。明治政府は、明治6年に徴兵令を出しています。明治の当初に作成された「壬申戸籍」は、人々の居住地や家族構成を明らかにするもので、兵隊の徴兵にとても都合のよいものでした。

ちなみに、徴兵令の推進した山形有朋は、「兵員数を平時は少なくし、戦時に増加するには、安上がりの国民皆兵制しかない」と考えていました。

徴兵の免除の条件

明治6年の徴兵の免除の条件として下記のことが挙げられます。
身体に問題がある場合
・役人や官立の学校で学んでいる生徒
270円以上納めた者(明治6年の歩兵卒一人の年間維持費の3倍)
・一家の主人や家の後継ぎ
・懲役以上の刑に処せられた者

国民皆兵という構想から徴兵令が出されましたが、地主や特権階級には、徴兵から逃れる事ができる抜け道がきちんと作られていました。

戸籍と徴兵

徴兵免除の条件が一般に広まると、一家の主人は息子達を兵役から逃れさせるために、分家や絶家再興、養子縁組の届出を提出し、実際には実家に住みながら戸籍上では、他家の戸主となるというケースが増えました。明治10年の西南戦争が起こると、益々兵役逃れが加速しました。

そこで、政府は分家の要件をつけました。
・相当の財産があり独立して生計を維持することが可能
・別居
・戸主として一定の年齢に達している

その後も兵士の不足に困った政府は、「実際に調査をし、本当に気の毒な場合は猶予するが、一家の主人だとしても徴収する」という通達を出しました。

逃亡や失踪することで懲役を逃れようとする者も多く、明治15年には、4,167人。そして明治29年までには、7万4,880人にも達しています。そのほか、医者に頼んで死亡診断書を偽造してもらった者もいたそうです。

子も貴重な労働力だった当時、徴兵に行かれては困る。そして、何よりも大切な我が子の命を危険にさらすことを避けたいというのは、親として当然の心理ですよね。

【参考図書:徴兵忌避の研究 菊池邦作 立風書房】

(黒川総研 系図倶楽部より)