空手のルーツ

2020年東京オリンピック正式種目となった空手。日本発祥の競技を日本で開催するオリンピックで初披露!!うーん、楽しみです。先日、空手の黒帯の昇級試験を見てきました。正道会館といって、寸止めではなく、フルコンタクトの流派。実際に攻撃するので、パーンパーンと道場内に響き渡る凄い音。目にもとまらぬ蹴りの速さと迫力に興奮しました。

沖縄発祥の武道

空手のルーツは、沖縄(琉球)。琉球には、古くから武器を使わず、自分の体を使って相手の攻撃を受け、突く、蹴るなどの方法で相手を攻める武術が伝えられていました。そこに、中国から伝えられた「中国拳法」も取り入れながら、空手は独自に発展していったと言われています。

1867年に琉球の久米村の人々が、王の祝賀会で空手を披露したという資料も残っています。

空手は、当初「唐手」という表記でしたが、「唐」という文字が、日本の武道にはふさわしくないという理由で、1936年に沖縄の新聞社に当時の空手関係者が集まり、話あった結果、「空手」と言う表記に統一しようということに決まりました。

武器禁止から発展した空手

琉球で、空手が発展したのは、琉球の人々が、2度に渡って武器を持つことを禁止された背景があります。1度目は、1526年まで約50年館の間琉球の王座についた尚真王の時代。2度目は、薩摩藩によって支配された時代。武器を持つことを禁止された人々は、身を守るための手段として、空手の鍛錬を続け、発展していきました。1900年の初めには、首里の学校で授業として採用されるようになりました。

沖縄から全国へ

沖縄の空手を全国に広めたきっかけは、沖縄の教師「船越義珍」です。空手を学んでいた船越は、1922年文部省が東京で主催した第1回体育展覧会で、空手を披露しました。空手が沖縄以外の地で紹介されたのはこれが初めてと言われています。そして、船越は、東京で、柔道の創始者・嘉納治五郎の弟子達に空手を指導し、普及に力を注ぎました。この船越の指導の流れを継ぐのが、現在空手道の四大流派の1つ、「松涛館」です。

船越義珍の披露より2年後の1924年には、慶應義塾大学、1926年には、東京帝国大学が船越義珍を師範にむかえて空手部をつくりました。そして、大学を中心に広まっていくことになります。

戦後の空手

1945年第二次世界大戦後、日本を占領したアメリカ軍が、柔道や剣道といった武道を学校で教えることを禁止しました。アメリカは、日本の軍国主義的な精神が、武道によってはぐくまれてきたと考えたからです。しかし、空手は、この禁止令に含まれていなかったため、新たに空手部をつくる大学も増え、急激に全国の学生達の間で空手は広まっていきました

日本から世界へ

1950年代になると、日本を占領していたアメリカ軍から、日本国内のアメリカ軍基地で柔道や剣道・空手などの演武をして欲しいという要望が出されるようになり、外国人にも空手が知られるようになります。1953年にはアメリカ空軍より招待を受け日本の武道家達がアメリカ本土に渡り武道の指導にあたりました。こうして、空手は、海外に広まっていきました。

琉球で生まれた空手が、今や世界中に広まり、競技人口は5000万人ともいわれています。そして、とうとうオリンピックの正式種目になりました。凄いですよね。

【参考図書:空手道 全日本空手道連盟 チャンプ】

(黒川総研 系図倶楽部より)