実名(忌名)と通称

名前の流行

家系図に記載する大切な名前。家系図を作成していると、名前で歴史の流れを感じることもあります。

女性の名前では、明治の頃には、「千代」、「文子」、昭和に入ってからは、「和子」が人気でした。戦後は、「恵子」ブームがきています。70年代には、「陽子」が人気です。男性の名前では、大正には、「清」、戦時中は「勇」や「勝」が人気でした。

最近の名前は、読み方や音の響きに重きを置いて名前を決める方が多いようです。

大和朝廷の頃の上流での実名は、男性は、「○○彦」女性は、「○姫」「郎女(いらつめ)」という名前が大半でした。また、大和時代で有名な人物・蘇我馬子・蝦夷(エビ)・入鹿(イルカ)。彼らは、皆動物の名前が入っています。当時は、動物の名前を入れることが流行していました。特に馬、鹿、猿、寅、牛などが人気でした。動物の持つ生命力などにあやかりたいという気持ちがあったようです。

神秘的な力を持つ実名

実名は、古来より神秘的な呪術力あるいは生命力があると信じられていました。他人から実名を呼ばれると支配されてしまうと考えられていました。そのため、実名を他人に知られないように、通称を名乗るようになりました。実名は、他人に知られるのを忌む名前ということで、忌名とも言われます。

特に女性は、他人に実名を知られると征服されると考えられており、朝廷に出仕するようになっても、実名を名乗らなかったようです。女性が、実名を教えるのはよほどのことだったのでしょう。そのため、今でも紫式部や清少納言などの実名はわかっていません。

この通称と実名の併用は、明治に入り戸籍を作成するために実名か通称のどちらかを選べという法律ができるまでありました。例えば、幕末から明治にかけてからの偉人・西郷隆盛は、西郷(苗字)吉之助(通称)隆盛(実名)です。伊藤博文は、伊藤(苗字)俊輔(通称)博文(実名)です。

実名は、漢字二字

中国の文化を特に重んじていた嵯峨天皇が、「実名は漢字2文字にしよう」と奨励しました。歴史の教科書にも記載していた有名な源氏や平家の家系図をみても、2文字の名前が続いているのもその影響でしょう。

嵯峨天皇は、ほかにも実名に関して奨励しています。それは、系字の導入です。「系字」とは、兄弟の横の関係で実名のうち1字を共有する文字です。この「系字」の流れが徐々に「通字」に変わっていきました。通字は、父・子の縦の関係で1字共有する文字です。たとえば、平家の正盛、忠盛、清盛などの「盛」という字は、通字にあたります。

今も昔も名前に込められた「想い」があります。大切にしていきたいですね。

(黒川総研 系図倶楽部より)