橘のルーツ
県犬養三千代が朝廷出仕の功績によって賜った姓。また、この三千代への橘の姓は、もともとは彼女一代限りとされていたが、彼女の子である葛城王・佐為王が臣籍降下したときに、「橘」姓を賜りました。
橘のルーツは、「植物の橘」です。日本に古来から野生していた柑橘で、ミカンより小さく、酸味が強いので食用には向いていません。しかし常緑で実を長くつけることから長寿吉祥の木とされています。心洗われるような爽やかな香りで、古来より愛され大切にされている植物です。
「橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の木」聖武天皇が葛城王に橘の姓を与えた際に、詠まれた歌。橘が永遠に栄えるように、そなたの家も永遠に栄えるように祈ろう、という気持ちが込められています。
昔の教養人は、すらすらと歌を詠むことができて凄い。短い文で気持ちを表す。素晴らしい日本の文化だと思います。
江戸時代の本居宣長も疑問を持った「橘氏」
日本四代姓という割には、橘氏のなかで有名なのは、橘諸兄・清蔭(源平合戦以降だと、楠木正成・前田利家)などで、四代姓の一つに数えられるほど繁栄した一族とはいえないのではないか。このような疑問を、江戸時代の本居宣長ももっていたようです。橘氏が四代姓の一つに入った理由は以下のように考えられます。
【理由1】橘姓は、女性が単独で姓を天皇から賜った珍しいケースであり、彼女は生涯で6人の天皇に仕えていた。そして、中臣鎌足の二男・藤原不比等と再婚し、子が聖武天皇と結婚をして皇族以外から出た初めての皇后・光明皇后となっている。
【理由2】橘諸兄のひ孫にあたる橘嘉智子は、嵯峨天皇の皇后になり、その子はやがて第54代仁命天皇になっている。
上記の理由より、四大姓のひとつに入っているようです。
橘氏の勢力
橘諸兄の後を継いだ奈良麻呂は、藤原仲麻呂を倒そうとしたが、失敗し757年に逮捕され獄死。これにより、橘氏は急速に力を失います。
しかし、奈良麻呂の孫・橘逸勢は、空海・嵯峨天皇とともに三筆と称されます。また、地方に下った橘氏は、香川県・愛媛県・岡山県などで武家として栄えます。
橘の家紋
氏のとおり、「橘」紋を多用している家が多い。しかし、橘姓の楠木一族は、後醍醐天皇から拝領した、菊水紋を愛用しています。
(黒川総研 系図倶楽部より)