菊紋と桐紋
新しい元号「令和」が発表されました。令和には、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。新天皇の即位にあわせて、5月1日午前0時から切り替わります。天皇の退位に伴う改元は、憲政史上初めてです。
さて、天皇家の紋章は、ご存じ「菊花」。明治元年太政官布告によって、「十六葉八重表菊」が皇室の紋章とされ、使用が宣言されました。大正15年の「皇室儀制令」では、天皇・皇族の紋章が規定され大きさなども様式化されました。
後鳥羽上皇の影響
皇室の紋は、元々、「日月」でした。これは、太陽の神アマテラスを表す「日」と夜を統べる神ツクヨミを表す「月」を意味します。こちらの紋も今でも使用されています。即位式の際、「日月」が描かれた旗を目にするかもしれません。
皇室で菊紋が用いられるようになったのは、後鳥羽上皇(平安後期~鎌倉時代)が菊を好んでいたことがきっかけです。上皇は、菊を大変好み、衣装や調度品など様々な所に菊を文様として用いました。そして、後の天皇もそれを踏襲していったため、菊花紋は、日月紋とともに、皇室の紋章として定着していきました。
中国から伝わった菊の花
菊の原産地は中国で、仁徳天皇の頃に伝わってきました。旧暦の9月は菊月と言われ、9月9日の重陽の節句には、菊の花を愛でて長寿を願っていました。
個人的には、菊の花は、仏花を連想し、花の中では地味な感じがしていました。しかし、皇室の紋として愛され、重陽の節句からも分かるように古来より多くの日本人に大切にされてきたのだと思うと、菊の花に対する見方がガラリと変わりました。
制限なしの桐紋
皇室の紋として、菊紋の他に桐紋があげられます。桐は、中国の伝説の鳥・鳳凰が止まる木といわれて、皇帝のシンボルでした。それが、日本にも伝わり、天皇が着用する御衣にも桐が描かれるなどとして、桐は日本でも特別な植物として扱われました。
室町時代以降、織田信長、豊臣秀吉などに下賜され、使用する家が増えていきました。明治以降は、菊紋と異なり、使用の制限はなく、現在では日本政府の紋章としてしられています。また、タンスの飾りに桐紋が使用されていることも多いのも、桐紋のこのような成り立ちがあるからなのでしょう。
追記
現在は開かれた皇室ですが、戦前の皇室は、「菊のカーテン」といわれていました。それくらい、ヴェールに包まれた存在だったわけです。
日本の皇室は、現存する世界最古の王室としてギネスブックに登録されています。世界に誇る日本の皇室です。
(黒川総研 系図倶楽部より)