ワインのルーツ
今、「日本ワイン」といって、国産のブドウ100%のワインが人気です。外国から仕入れた濃縮ジュースを薄めて日本で醸造すると国産ワインを名乗ることができます。国産ワインと日本ワインの違いはここです。今回は、ワインのルーツについて。
人類が、最初にアルコール飲料を口にしたのはなんと旧石器時代。人類とアルコールは、深くて長い関係にあります。
コーカサス山脈には、野生のヨーロッパブドウが何百年にもわたって生育していました。初期の人類が作った木の容器や瓜の殻などで熟れたブドウの実を運ぶと、容器の底でブドウの皮についていた天然酵母によって発酵し、徐々に低アルコールのワインへと変化していったと考えられます。そのようなことが、世界各地で起きていたのではないかと考えられています。
エジプトのワイン造り
エジプトもメソポタミア同様、小麦を主食とするビールの国でした。紀元前4000年頃から中近東の山岳地帯から来たワインを飲み始めたようです。第3王朝に入り、ブドウ栽培とワイン造りが広まりました。新王朝時代、紀元前2000年頃には、ワインはエジプトだけでなく中近東からヌビアにかけて流通しました。
ワインは、ビールに比べて贅沢な飲み物とされ、神の捧げ物、エリートの飲み物とされていました。ビールの10倍の価格であったという記述も見られています。
修道院のワインの研究
4から5世紀頃に描かれた「最後の晩餐」でも、パンはキリストの肉であり、ワインはキリストの血という思想が表されていますが、ワインがキリストの血であるという考えが広まり、修道院や司祭がワインを造る醸造の主導権をにぎっていました。
修道院の1つの会派であるシトー派修道院は、ブルゴーニュ公によってワイン造りを許され、ブルゴーニュ地方でワインを造っていました。技術を高めワインの収益で施療院を経営し、貧困な人々を助けました。
シャンペンは、フランスシャンパーニュ地方のオーヴィレール修道院のドン・ベリニョン師によって作り出されたと言われています。
日本のワイン
日本へは、オランダ人がワインを持ち込み織田信長も飲んでいたと言われています。本格的なワインの研究は明治以降。日本で栽培されているブドウの80%は生食用ですが、ヨーロッパでは生産されるブドウの約80%はワイン用のブドウです。ちなみに、日本の白ワインの代表品種は甲州種。赤ワインの代表品種は、マスカットベリーAです。
ワイン1本はどのくらいのブドウからできるのか?
750㎖のワイン1本には、1.3㎏のブドウが必要です。一本の木からどのくらいのブドウが収穫できるかは、一定ではありませんが、1本の新枝に1.5から2房のブドウがなると仮定し、新枝を8本と予定すると、12から16房のブドウが収穫できます。1房500gのブドウとしたら、6から8㎏のブドウを収穫でき、5から7本のワインが生産されます。
追記:ワインの話をしていると、大学時代に醸造学の小泉武夫教授の講義を受講していたことを思い出します。東京農業大学は、自然・環境・食料に関して熱い大学です。今でも、私の中にその「想い」は流れています。
【参考図書:ワインの世界史 ジャン=ロベール・ピット 訳:幸田礼雅 原書房 /もっとワインが好きになる 花崎一夫 小学館/ブドウの絵本 高橋国昭 沢田としき 農文協】
(黒川総研 系図倶楽部より)