名字と苗字の違い

家系図に記載する大切な名前。前回は、氏姓制度の氏(うじ)と姓(かばね)についてご説明しました。今回は、その後の名字の歴史ついての解説です。現在は、名字と苗字は同一の意味でとらえられています。しかし、成り立ちが異なります。平安時代に名字ができ、室町時代以降に苗字ができました。

平安時代後期(794~1185年)になると、武士を中心として氏(うじ)の他に名字を使うようになりました

理由1】地方の豪族を中心に勝手に「源平藤橘」の四氏の子孫と称するものが増えていき、個別の区別がつきにくくなった

たとえば、藤原氏の四家の内のひとつ、北家の中でも、道長・頼通流とそれ以外というように同じ氏の中でも勢力争いがあり、格の違いがでてきました。そのため、区別するためにも名字をつけはじめたようです。

理由2】氏が地方に下って武士となり、自分の土地を基盤に勢力を伸ばしていくことで独立性を主張しようという流れがあった

名字は、どのように作られた?

荘園制度によって土地を所有した名主は、自分の土地に名前を付けました。その土地を名田といいます。その後、名田の名前を名字にする風習が生まれました。つまり、一所懸命の地から名前をとったのです。

室町時代までは、武士は本拠地を移動すると名字を変えていました。父親の跡を継いだものは、そのままの名字でしたが、その他の子たちは、土地を与えられて分家となるとその地を名字としたので、親子や兄弟でも名字が異なっていました。

たとえば、清和源氏の義国の長男は、新田義重と名乗り、新田の祖となり。二男は、足利義康と名乗り、足利の祖なっています。

なぜ、名字をわざわざ変えていったのでしょうか。一族の一員という立場でいるよりも、自らが武士団を率いるリーダーになりたいと考えた者が多かったからではないでしょうか。争いが起きたときには、本家と分家が一致団結して戦う場合も多かったようなので、分家が一族の分裂や対立を意味するというわけではなかったようです。

名字から苗字へ

室町時代以降になると有力な豪族の名字を真似するものが現れました。勝手に名字を名乗ったりして、全体の把握が困難になってきました。

江戸時代には、幕府は謀反の危険を取り除くために、武士を領地から切り離す政策を打ち出しました。その一環として、領主の意味を持つ名字から苗字という表記に変えました。苗字には、血統を同じにするものという意味があります。

(黒川総研 系図倶楽部より)