名前の話|苗字(明治編)

家系図に記載される大切な名前。これまで、古代の氏姓(うじかばね)平安時代の名字についての話をしてきました。今回は、苗字が確立する話です。

苗字の確立

江戸幕府は、一般庶民の苗字の使用を禁止しました。ただし、農民や商人に苗字がなかったわけではなく、ほとんどの人が公にはしていませんが私称していました。

なぜ、苗字が確立したのか。それは、戸籍にまつわる話|明治でもでてきた、近代最初の「壬申(じんしん)戸籍」の編成があったからです。

明治政府になり、国民皆兵のための徴兵義務に支障が出るということで、陸軍省の要請をうけて、明治3年9月に、「平民苗字許可令」を布告し、明治5年には「壬申(じんしん)戸籍」を編成しました。ところが、今まで禁止されていた苗字ということで庶民たちは遠慮をして苗字をなかなか登録しようとしなかったので、明治8年2月に「平民苗字必称義務令」をだしました。

通称と実名(諱)について

壬申戸籍ができるまで、人々は自由に名前を改名していました。武士は、幼名・元服名・隠居名などを人生の節目で改名をしていました。また、庶民も改名の習慣があったようです。明治政府は、このままでは、戸籍に名前を登録しても意味がないので、勝手に改名することを禁止しました。

また、武士は、江戸時代まで苗字と通称と実名を併せ持っていました。実名を呼ぶことは失礼に当たると考えられていました。
たとえば、現在放映中のNHK大河ドラマ「西郷どん」の西郷隆盛は、

西郷(苗字) 吉之助(通称) 隆盛(実名・諱)です。

戸籍に登録する上で具合がわるいので、実名か通称のどちらかを選択して名乗るように通達がありました。
上級武士だったものは、実名を登録し、下級武士だったものは、通称を登録したケースが多いようです。

このような流れで、現在私たちが使用している名前の形になったのです。

(黒川総研 系図倶楽部より)